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◇オンの才人オフの達人

どんな時も、書いている


曽野綾子(その・あやこ)さん
作家
 1931年東京生まれ。聖心女子大英文科卒。作家の三浦朱門さんとは学生結婚。54年「遠来の客たち」で芥川賞候補。70年に出したエッセー「誰のために愛するか」は200万部を超えるベストセラーに。臨時教育審議会などの各種委員や、95年からは「日本財団」の会長を9年半務めた。79年、ローマ法王庁からバチカン有功十字勲章を受章。97年、海外邦人宣教者活動援助後援会代表として吉川英治文化賞、読売国際協力賞を受賞。日本文芸家協会理事。文化功労者。著書は「無名碑」「神の汚れた手」「天上の青」など多数。昨年12月にはオスカー・ワイルドの名作「幸福の王子」の新訳(バジリコ発行)を出版した。

 23歳で芥川賞の有力候補となり文壇デビュー。50年以上にわたって小説、エッセーなど幅広い執筆活動を続け、教育、司法制度などの各種審議会委員や社会活動にも取り組んでいる。

素質作った、両親の不仲

 小学校6年の時から小説家になろうと考えていました。

 というと、いかにも体裁がいいのですが、現実を言うと、強度の近視で人の顔も覚えられない。足元さえよく見えない。平均台もボールもよく見えないので、運動も出来ない。それに算数も苦手で、消去法だと作文しかなかった。

 何でも出来る人は、良いようで気の毒。私のように一つしかないと、迷わなくて済む。それをいかせばいい。

 両親が不仲で、母と心中しかかったこともあります。

 父に殴られ、顔がはれて学校にいけなくなったこともあります。

 そういう生活をすると、少しは考え深くなる。

 でも、いいことですよ。人生、甘くなくなりますから。私はそれによって小説家になる素質ができたから感謝しています。

 人間は、幸福な家庭からも、不幸な家庭からも与えられているんです。ものが違うだけで。

 小説の題材については、30代後半から全然困らなくなりました。それまでは主人(三浦朱門さん)に、「23歳で世の中に出ると、必ず文体が通用しなくなる時がきて、巨大な壁にぶつかる」と言われ、その通りになったんです。

 でも、それを越えたんですね、1969年の「無名碑」という作品から。それに、外国の仕事をするようになり、人生や人間について考えさせられ、ごく自然に書けるようになった。キリスト教、学校の教育、戦争、貧困……無駄なものは何もなかった。たぶん、死ぬまでに書ききれないと思います。

 貧しい国を見られたことが、私にとって良かったですね。それに、生活にまみれて暮らしたのが良かった。家の中のことは一切しないというのでは書けなくなったと思う。

農家が畑を耕すように…私も

 最近、オスカー・ワイルド(英国の作家、1854〜1900)の「幸福の王子」を翻訳して出しました。昔から最高の作品だと思っていましたが、それがだんだん明白になってきました。皆が「平和」と言いますが、平和のために死のうという人はいない。全財産を差し出そうとする人もいない。今だからこそ、あの話には身ぶるいさせられる。最近、新しくなったテーマです。

 私にとって、書くことは農家の方たちが畑を耕すようなもの。耕すなって言われたって、何をしていいかわからず、畑をするでしょう。

 私も、どんな時にも書いていますもの。生活が書くことと組みになっている。

 遊ぶことも何もかも。それ以外の生き方は知らないんです。

(談)

2007年4月4日  読売新聞)

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